島の木のはなし
古くから島の人々に愛されてきた島材には、
八重山の歴史や人々の暮らしが刻まれています。
皆さんの身近な木、手に取ってくださった木、
それらにまつわるお話を、少しだけ紹介します。
個性豊かな島の木のもつおはなしを知れば
きっと、もっと、愛おしくなります。
家や文化を支える木、アカギ
アカギは年月を重ねることで堅さを増していくことから、樹齢100年を超えるものが良いとされています。樹齢を重ねたアカギは建物を下から支える桁と呼ばれる建築材や、木鋤(キーパイ)と呼ばれる農具の柄になどに使われていました。
また、その堅さを活かして宮古上布の砧打ち(きぬたうち)という工程の土台として、今でも使用されています。砧打ちとは織りあがった布を激しく打ち付けることによって艶を出す工程。5㎏ほどもある木槌でひたすら打ち付けるので、土台には相当堅い木が必要です。
若い木や伐り出したばかりの木はその名の通りとても赤みの強い色をしていますが、年月が経つと不思議と醤油のような濃い茶色に落ち着いてきます。
(方言名:アッカンキ、アカンギ、アハギなど)
山の番木、アカハダノキ
アカハダノキは他の木に比べて水分を沢山含みます。山火事が起きて周りが焼け野原になってしまってもこの木は残るほど。その姿がまるで山の番をしているようだったことから、昔の人は“ヤマヌバンキ”と呼んでいました。逆にちゃんと乾燥させるとよく燃えるといいます。
昔の人はこの木はあまり使い物にならないと言って誰も伐り出してこなかったそうですが、木目には光沢があり美しいため、今後の活躍が期待されます。
(方言名:ヤマヌバンキなど)
工職人泣かせの木、イスノキ
イスノキは島材の中でトップクラスの堅さと重さを誇る木です。それに加えて“ねばり”(曲げる力への耐久性)があり、とても削りにくい木。そのため多くの木工所は加工するのを嫌がったと言います。しかしその堅さと高級感のある紫がかった美しい茶色により、“九州紫檀”の名が付く高級材とされています。
沖縄では三線の棹として有名で、芯の部分が入った“実入り”のイスノキで作られた三線は高く評価されています。イスノキの三線は柔らかく伸びやかな音がするのが特徴だそう。昔はよく家の梁に使われていましたが、そこには「将来古くなった家を取り壊す際には、イスノキの梁を使って子孫が立派な三線を作れるように」という家主の願いが込められていたといいます。
(方言名:ユシ、ユシギなど)
偉い人が欲しがった木、イヌマキ
イヌマキは耐水性がありシロアリにも強く堅さがあって丈夫という特徴から、その昔は上等な高級建築材として琉球王朝に上納することが義務付けられていた木です。八重山では昔から雨端柱(あまはじばしら)や床柱に使われていました。方言名であるキヤーギ・チヤーギは“美しい木”の意味で、その名の通り木目はとても美しく、高膳や重箱などよく人目に触れる道具の材料としても使われていました。
また、面白いことに昔の人はイヌマキの木をオスとメスに分けて呼んでいました。木肌に“おこぶ”と呼ばれるデコボコとした力こぶのようなものがあるのがオス、真っ直ぐ生えて木肌が滑らかな方がメスです。“おこぶ”の立派なオスの木は床柱によく使われています。メスの木は夏から秋にかけて赤と緑の可愛らしい実をつけます。実は赤紫色になると食べごろ。昔は貴重なおやつでした。一方緑の部分は種子にあたり、弱い毒を持っています。“種までは食べないでね”というイヌマキからのメッセージでしょうか。
(方言名:キャーンギ、キヤーギ、チヤーギなど)
子どもに優しい木、カラスザンショウ
カラスザンショウはデイゴのように材が柔らかくて軽いことから八重山の一部では山デイゴを意味するヤマズグ、ヤマジユーキなどと呼ばれています。
軽くて割りやすく山に沢山生えているカラスザンショウは、薪としてよく売られていたと言います。実のところカラスザンショウの薪は火が長持ちせず減りが早いのです。そのため逆によく売れてとても都合のいい木だったそう。昔は子どもたちが薪を集めて売る手伝いをするのが当たり前でしたから、軽くて良く売れるカラスザンショウは稼ぐにはもってこいの木だったことでしょう。
また昔は下駄を自分で作ることが当たり前だった時代。カラスザンショウの材はその軽さから下駄の材料としても重宝されていました。
当時の住居にはもちろん風呂釜はなく、お風呂と言えばドラム缶風呂で、その底板に使われていたのもこの木です。
(方言:アンギ、ヤマズグ、ヤマジユーキなど)
~イヌビワきょうだい~どっしりと根を張った長男、ギランイヌビワ
ギランイヌビワは幹や枝の突起から"無花果"と呼ばれるイチジクに似た果実をびっしりとつけます。花を咲かせずに果実をつけることに由来する名前ですが、本当は果嚢と呼ばれるこの果実の中に花を咲かせているという面白い木です。果嚢はヤエヤマオオコウモリの大好物でもあります。
木は伐ったらすぐに水に浸けて"スーカン(潮乾)"し、壁板に利用していました。スーカンとは川や海に木を浸けてから乾燥させる工程を言います。普通に樹液を乾燥させるには年月がかかりますが、水に浸けることで樹液が水の中に吐き出されて乾燥が早まり、さらに虫の食べ物である樹液が流れ出たことで虫が入らなくなるという効果があります。
(方言名:アハカブリ、シスカブリ、シスカブルなど)
お金持ちになれる木?、クロガネモチ
クロガネモチは大木になるので建築材として梁、桁、床の大材などに使われていました。名前に”カネモチ”が入っていることから縁起がいい木として庭に好んで植えられます。小さな赤い実が房状に沢山つく姿はとても鮮やかで美しく、街路樹にも良さそうです。
(方言名:ハサス、アサシキなど)
台風のたびに繁盛する木、シマグワ
シマグワには赤と白があり、山に多く見られる方が赤のシマグワで、白よりも硬いといわれています。
昔は赤白ともに蚕を養うために多くの屋敷に植えられていました。また、堅くて光沢があるため建築材や装飾材として高級とされ、机やタンスなどの家具材としても使われていました。材は色の変化が激しく、伐り出してから年月が経つとだんだんと焦げ茶色に変化して味わい深くなっていくのも特徴です。
さらに面白いことに、普通の木は年に1度実をつけることが多いですが、このシマグワは台風が来るたびに葉が落ちて実がなり、年に7回は実をつけることからナネーズと呼ばれています。
葉は血圧を下げる作用があり昔からお茶にして飲まれていたそう。実は甘酸っぱくてとても美味しく、おやつ代わりに皆に愛されていました。
(方言:ナネーズ、クワーキ、コンギなど)
子の成長を見守る木、センダン
八重山では昔から“女の子が生まれると家の庭にセンダンを植え、娘の嫁入りの際にはその木を使ってタンスを作り嫁入り道具として持たせる”という風習がありました。15~20年で直径30~40cmほどに成長するセンダンの木は、当時の女性がお嫁に行く年頃に伐り出すにはちょうど良い木だったのですね。親と共に子を見守る愛情深い木です。
さらにセンダンはその軟らかさから水分をよく吸収し、毒性によって虫が入りにくいため、衣類を保管する箱やタンスにするにはぴったりの木でもあります。
毒性を活かしてぼっとんトイレに葉を入れて虫を駆除していたとか。ただし、実が落ちて魚が死んでしまうので、池の周りには植えないように注意が必要だったそうです。
(方言名:シンダン、シンダンギーなど)
相思相愛の木、ソウシジュ
ソウシジュは台湾から入ってきた木。大きく育ち、黄色いくて可愛らしい花をたくさん咲かせます。
八重山ではあまり材としては使われていませんでしたが、しびれが少なく使いやすいためこれから活用が期待される木です。
“相思樹”という素敵な名前は、中国の悲しい愛の物語“鴛鴦(えんおう)の契り”に由来しています。
(方言名:タイワンヤナギ、ソーシジュ)
黄金色の木、タイワンオガタマノキ
タイワンオガタマの木は高級木材としてモッコクの次に良いとされており、建築材のほか家具材や民具などあらゆるものに使われていました。材は堅くて反りや割れが少なく、工作がし易いといいます。磨くと黄金色に輝く神秘的な木目をしているのもこの木の特徴です。
昔は西表島に沢山生えていましたが、戦後にはそのほとんどが伐採され今ではあまり見ることが出来ません。
石垣島の桃林寺に鎮座する仁王像は、1737年に久手堅昌忠氏により“島に自生しているオガタマノキ”を使って作られたとの記録がありますが、おそらくタイワンオガタマノキを使って作られたのでしょう。
(方言:ドゥスヌ、ドスヌー、カミキなど)
蝋分の多い木、タブノキ/線香の木、ホソバタブ
これらは別の種ですが、八重山ではどちらも“タブ”と呼び、タブノキは赤いタブでアハタブ、ホソバタブは白いタブでシスタブという呼び分けをしていることが多いです。
どちらも蝋の成分を含みますが、タブノキは特に多いといいます。材はまるでコーティングをしたように滑らかで腐りにくく、太陽の下に曝しておいても水分が飛ばずカラカラにならないほど。
ホソバタブはクスノキ科でクスノキと同様に樟脳の成分があり、線香の材料として有名です。西表島では木の生長期で水を吸い上げ皮が剝ぎやすくなる1~4月になると、樹皮を剥いで内地に売っていたそうです。
(タブノキ方言名:アハタブ、トゥムヌなど、ホソバタブ方言名:シスタブ、アブラトゥムヌ、コーガーギーなど)
タブノキ
ホソバタブ
福を呼ぶ木、テリハボク
八重山ではヤラブ=(福を)呼ぶ木、として縁起が良いとされ、神木のように拝所や墓の周りに植えられていました。雨風に対し相当な耐久性があるため、防潮防風林や街路樹としても八重山の各所に植えられています。美しい光沢と荒々しい木目が特徴で、高級用材として指物材・挽物材として用いられています。
戦後、宮古島の人たちが街の復興に使用する木の伐採のため西表島に来島した際にテリハボクの実を食べていたことから、西表島の人々もこの実が食べられることを知ったといいます。ヤエヤマオオコウモリの大好物でもありますね。
当時の子どもたちにとってヤラブの実は身近な玩具で、擦った摩擦熱で人を熱がらせたり、笛(コッコンナー)を作って遊んでいました。
種子から抽出した油は“タマヌオイル”と呼ばれ、太平洋の島々では民間薬として幅広く使われています。最近では八重山産オイルが販売され注目を集めているとか。是非お試しあれ。
(方言名:ヤラブなど)
鼻にぴーっとしみる木、ハマセンダン
ハマセンダンの木は虫がつきにくく吸湿性もあるので昔から板材として使われていました。
刺激臭があるのが特徴で、乾燥させてもにおいは残りますが、特に伐り出すときには鼻にしみるようなにおいがします。
島の木の中では珍しく秋から冬にかけては葉っぱが黄色や赤色に紅葉することでも知られています。
柔らかくて軽いので加工がし易く、八重山の人々の間ではよく下駄の材料に使われていました。昔は自分で履く下駄は山刀で自作するのが当たり前。子どもたちは天狗のような一本足にデザインしたりして、遊んでいたそうです。山刀を腰に差して山を駆け回り、木を登り、コマなどを作って遊ぶ当時の子どもたちは、とても強く逞しく感じます。
(方言:ヤマクルチ、フンキなど)
暮らしに欠かせない木、フクギ
フクギには板の色が“濃い黄色のフクギ“と“薄い黄色のフクギ”があります。その違いは葉の大きさで見分けられ、葉が小さいものが"濃いフクギ"、葉が大きいものが"薄いフクギ"です。
フクギの樹皮は昔から染料として使用されていましたが、染料にも色の違いは表れており、濃いフクギで染めた布はとても鮮やかで綺麗な黄色が出るため琉球王朝に献上することが義務付けられていました。庶民は濃いフクギの染料の使用を禁止されており、代わりに薄いフクギからとれる薄い黄色の染料を使用していたといいます。
そしてこのフクギの木、昔は各家庭に植えられていました。そのまっすぐ生えた幹と密集した葉っぱから、雨が降ると雨水が葉から幹を伝って落ちます。幹を伝う雨水をカメに溜めて洗い水に利用する家庭が多くあり、人々の生活になく
てはならない木だったのです。
(方言名:フクイ、フクイキ、フクンなど)
毒にも薬にもなる木、モッコク
水や火に強くそしてシロアリにも強いことから庭木の王様と呼ばれるモッコク。
建築材としても用いられ、雨端柱(あまはじばしら)と呼ばれる建物の外の柱に使われていましたが、琉球王朝時代には優れた建築材料として王朝に献上することが義務付けられ、庶民は使用することを禁じられてしまいました。
八重山ではその耐水性と丈夫さからエークと呼ばれる船のオールに使われていたといいます。モッコクには食あたりに効く成分があるとされ、漁の最中におなかが痛くなった漁師たちはその場でエークを削りそれをしゃぶって整腸剤の代わりにしていたんだとか。生きる知恵ですね。
また、魚毒漁にも使われていたというから驚きです。まさに毒にも薬にもなる木です。
(方言名:イーク、イージョー、イゾキなど)
光に透ける木、リュウキュウマツ
沖縄の代表的な木材と言えばリュウキュウマツ。昔から沖縄県内で広く植林され、沖縄県の県木にも選ばれています。何層にも重なるキャラメル色の美味しそうな木目、そして滑らかな手ざわりは秀逸です。
芯の部分は脂を多く含むため、薄く切り出して光にかざしうっすらと透ける温かく美しい光を眺めるのも、通な楽しみ方のひとつ。
水に強いことが特徴で、昔は海の桟橋やくり舟、トンネル建設時にコンクリートを流し込む枠、学校の学習机として身近に使われていました。
脂のおかげで良く燃える芯は漁師が漁に出る際の松明や家庭のかまどの火種としても使われていたといいます。生活のあらゆるところで活躍していた馴染みの深い木です。
(方言名:マツ、マチ、マーチなど)